日本の漫画の歴史~江戸の歌舞伎と職業の確立~

実は、漫画は歌舞伎の要素が入っているということをご存知だろうか?

戦い系の漫画で、変身をした後に、改めて自分の変身した姿を紹介いたしますよね。

例をあげて言うなら、「愛と正義のセーラ服美少女戦士セーラームーン、月に変わっておしよきよ」ってポーズをきめて言うと場面がありますが、あれは歌舞伎の正義の主人公が改めて制裁を下す時の自己紹介の間面を応用したものです。

時代劇でも、遠山の金さんで「じゃかましいやい!! そうかい、そんなに言うんなら、拝ませてやるぜ!(諸肌脱いで)おう! この見事に咲いた遠山桜、忘れたとは言わせねえぜ!」なんて言う場面を絵画にしているのです。

この要素は、海外の人にとっては不思議に映るらしく、そんなことをしている間に攻撃されたらどうすると感じるのだそうです。
正義をかっこ良く魅せるという思考は、劇場の勧善懲悪を懲らしめるといった場面をクローズアップさせ、しいては漫画まで続いていたのです。

東海道中膝栗毛の十返舎一九


次に、東海道中膝栗毛の十返舎一九という方がいます。
この方は、漫画界において革命をもたらせました。
それは、漫画における原作者と絵の担当を分けるといった働き方を提唱し、実際に働いた日本ではじめての方なのです。

彼が、こうした作品を作り上げる仕事が職業として確立し、漫画や文章で生活していけるような地位までに押し上げたのです。

この方は、はじめは漫画の作画と原作両方を書いていたのですが、狂言や浄瑠璃、歌舞伎といった事に関して大変知識を持っていた方のため、原作の作成に集中いたしました。
その結果、東海道中膝栗毛が最大のヒット作品となりました。また。この作品は、以前から発売されていた心中や事件を元にした作品ではなくて、滑稽本といったジャンルを確立しました。
現代でいうならば、遠山の金さんの祖の作品と言っても過言ではありません。

十返舎一九さんは、その後の「南総里見八犬伝」作者、曲亭馬琴らと交流を繰り返します。
彼らは、十返舎一九の働き方を踏襲し、職業としての漫画家や小説家の地位確立を成し得たのでした。
その結果、文字や絵を媒体とした作品が庶民に広がり、娯楽としての漫画が確立されたのです。

しかし、娯楽へシフトしたものは、前回に書いた通り、一旦発禁になります。

そして、その結果文字で書かれた娯楽小説が発展していくのです。
江戸時代の漫画の進歩はここで、一旦休止です。
漫画の革新は、明治時代に時代に大きな動きが起こります。

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